デンキ的まんが倶楽部

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なぜ(あなた・わたし)はまんがを描くのか??

今回は前に買った文字の本についての書評みたいなものというか…読み終えてものすごく感化されしまったので。

それは「労働者のための漫画の描き方講座」という川崎昌平という方の書かれた本です。

 

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この本を見つけたのはこのブログを始める前、2018年の夏ごろに名古屋パルコ内の書店にあったのを衝動買いしたものです。いつかこのブログの題材にしようと思ってはいたのですが、なぜかずるずると今日まで来てしまいました。

 


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本書の内容はその名の通り日々を生きる人が労働、だけでなくて自分の心を蝕む周りの色々な嫌な事から己の心を守るため、また自分の価値観をアップグレードし続けるために表現(この本で言うならまんがを描く)をし続けましょうというのが主なテーマです。

表紙を見ればわかる通りこの本はあくまで仕事などで時間のない人が趣味の一環としてまんがを描くことの意義を推奨しているという事になっているので、プロ志向の人向けの内容ではないという事になっております。実際描く時間がないんなら絵なんか別に上手くなくていいし簡単な丸人間でいいし背景なんて描きこみ過ぎても無駄という暴論も書かれております(^◇^)

なのですが、この本には少なくとも今まで自分が接してきた「漫画家になるには」系の参考書には全く触れられてなかったある意味「描く人」が何より大事にしなければいけない

 *生涯まんがを描くことを嫌になって投げ出さずに描きけるには?

 という、プロやアマという概念を越えて「自分の人生の大事な時間を費やしてまんがを描き続けることの意義とはなにか?」への答えの一つが描かれているのです。

 

それは本書の450頁、「漫画家になろうとするな」の項に書かれている文章です。原文をそのまま転写させていただきます。

漫画家になることを私は禁じているわけではない。それが愚行といいたいわけでもない。漫画家という職業意識、一種の肩書を目指してしまう姿勢そのものが、漫画を描くという行為を阻害しかねないがために、このように主張するのである。

 

東京藝術大学在学時から美術予備校講師時代を含めて、私は何人もの創造性豊かな人間たちをこの目で直に見てきた。いや、見るだけではない。作品を目の当たりにし、作家の言葉に、思想に、意思に、情熱に……直接触れることをしてきた。大学の同期や後輩、あるいは教え子たちの生きた過程を、実体験とともに感じてきたのである。

そして月日が経過すると、彼らのうち何人かは、その創造性を捨て去るようになる。(中略)私にはないものを持ちながら、作り続ける道から降りてしまった仲間たちを見やる度に、私は寂寥を覚えたものである。

同時に、作り続けられなくなった人間の共通項を、そのうちに私は理解するようになった。

それは「つくる行為以外のものを、目的にしてしまっている」ということである。

より詳細に語ると「作る行為を名詞化してしまっている」となる。わかりやすく言えば、つくる行為が導くある種の肩書を求めてしまうようになり…それゆえに作る行為そのものの質が下がり、あるいは肩書を得られない苦しさから、作る行為への情熱を失ってしまうのである。

実際私はそうして例をいくつも見てきた。ファッションデザイナーになりたい人間のてがけた服飾、小説家になりたい人間の書く小説、彫刻家になりたい人間の彫る立体、映像作家になりたい人間の編だ映像、そして漫画家になりたい人間の書いた漫画…すべてつまらなかった。どれひとつとしておもしろいものはなかった。

逆におもしろい絵を描きたいと願い人間の描く絵、今までにない詩を詠みたいと切磋琢磨する人間の放つ詩、既存の映画をぶっ壊してやると鼻息荒い人間の撮った映画、漫画で表現したいものがあると信じる人間がつくった漫画……それらには心の底からおもしろいと思えるものが多かった。つくることそのものに捧げられた強固な意志は、当然のように作品を輝かせるのである。

結論すれば、極論すれば作家とはなろうとしてなれるものではないということになる。作品をつくり続ける人を作家と呼ぶのであり、作家になった人間の作るものが作品なのではない。

この構造を理解しておかないと、漫画を描き続けようとするあなたも、いつか苦しむことになる。編集者に認められなければ漫画家になれないわけではない…(中略)漫画を描き続けれいれば、あなたは漫画家なのである。そして、その境地を心身ともに弁えられれば、漫画家であるか否かなど、どうでもよくなる。単なる言葉の問題にすぎないのだ、と。

プロという言葉も無視してよい。少なくとも漫画を描き続ける上では微塵も意に介する必要のない言葉である。私にしたところで、漫画を描き、原稿料をもらったり、単行本が刊行されて印税収入を得たりしているが、正直に白状してしまえば自分が漫画家であるとは今なお思っていない。

〆切を守り、編集者の要求するクオリティになんとか仕上げ、自分の名前において作品を公表する意味でのプロ意識こそあるが、私自身が編集者であるからそうした行為を当たり前と思っているだけであって、プロという言葉をアマチュアの対義語としては認識していない。

職業的に執筆する側面が私にあるというだけであって、私がつくるとき、これからも私がつくり続けようとする思考を進める過程においては、プロであるとか漫画家であるとか、そんな意識は脳裏の片隅にも存在しない。そうした思考は、少なくとも私の作品に対してよい効果はもたらさないからである。

あなたは、漫画家になろうとしてはいけない。プロになろうとしてもいけない。ただひたすらに、漫画をつくり続けようとすればよいのである。それだけを念頭においておけば、たまに編集者の意見に耳を傾けてもよいし、描いた漫画を束ねて本の状態にしてみても楽しいし、同人誌をイベントなどで発表してもおもしろいし……描き続ける意味を自分自身で創出できるはずである。

もちろん、その過程で漫画家になっても、まったく問題はない。念頭に漫画家になろうとする欲望を強く抱いてしまうのはよくないと私は言いたいだけである。漫画家になりたがってしまうと、嫉妬の虜囚となったり、編集者の言動に振り回されたり、見えない読者を勝手に規定して思い悩んだり……苦しみばかりが重くのしかかるようになり、漫画の継続性を自らくじく可能性が高くなる。

本書の序盤を思い返してほしい。漫画はあなたがあなた自身を救済するための道具であると私は説いたはずである。漫画家になるために漫画を描くのではなく、労働者であるあなたが、昨日とは違う思考を得るために、明日の新たなあなたに出会うために、あなたは漫画を描き続けるべきである。

 

  勿論異論や同意できない方も中にはおられるとは思いますが、少なくとも自分はこの文を読んで目からウロコが落ちたというか、大いに納得させられました。ネットで発信することがボーダレスにできるようになった今改めて考えてみるべきことかとも。

*それでもどーしても描きたくない時は自分のフェチがフル稼働する絵(美少女なりイケメンなり変態エロなり上手そうな料理なりカッコいいメカなり)を無理やりねじ込んで、それを描くことを自分へのご褒美としたらいいっていうのも昔読んだことあります。(二次元は自分の欲望の全肯定なので!!)

 

漫画家というと「ヒットすれば大金持ちになれるね」とよく茶化される事がありますが、そもそも大金持ちになりたい(全くないとは言いませんけどw)と思って続けられた人なんてまずいないんじゃないかと思います。とどのつまり無給でも描かずにおれない人しか続けらんないと思います(;^ω^)

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  まんがと描く人がいつまでも相思相愛でいられるかどうかはモチベーション次第

 

この本には他にも途上で心が折れないようにするための言葉も色々書かれています。興味を持たれた方はどうぞ。

 

労働者のための漫画の描き方教室

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