デンキ的まんが倶楽部

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「旧作エヴァのラスト」と「シンエヴァ」を比較してみてわかった事。

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 目下一部の世代でトレンドになっている新作エヴァシリーズ完結編こと「シンエヴァを観てきました。

当然ワタクシめも旧作の頃は使徒や登場する兵器の名前を全部暗記したり、お小遣いでサントラのほとんどを買い集めたほど狂ったハマり方をしていたのですが、その完結編「まごころを、君に」のラストを観たあとは不完全燃焼のまま置いて行かれたようで、庵野カントクに何か軽い恨みのような感情を抱いたままそれでもブームの終焉とともにだんだん落ち着いて忘れていきました。(そのあと庵野カントクはラブ&ポップ」と「式日という実写映画を撮っているんですが、「式日」はエヴァで掬いきれずこぼれ落ちたカントクの気持ちみたいなものが補完できる名作だと思っています。)

それでしばらく経たのち今度はヱヴァンゲリヲンとして進化した映像技術と共に復活したわけですが、破のあまりの面白さに続きをすごく期待したのに、Qを観た後はその期待もしぼんでしまい「ああシンは結局突き放しエンドで終わるんだろうな」と公開されるまではずっと観ることに対して半ば憂鬱な気持ちでいたのですが、初日に観た人たちの書き込みを見ていくと「過去のネガティブエンドがポジティブエンドに生まれ変わってすごくよかった」というのが大半だったのに正直驚き、実際映画館に足を運んでみると確かに過去にあった様々なシーンを次々と塗り替えていく展開に胸がすく思いがして、「確かにシンジも過去と決別していっぱしの大人になってしまったのだなあ」と感慨にふけりながら、昔買った旧作の「まごころを、君に」のフィルムブックがまだ家にあったのを思い出してこの機に何年かぶりに読み返してみたら意外なことに気が付きました。それは

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旧作のエヴァも実はそれほどネガティブな終わり方をしていなかった

という事です。「AIR]「まごころ」は登場人物の大半がLCLになって溶けてしまったり巨大綾波やいきなり入ってくる実写映像の方に気を取られがちですが、そこで語られているセリフの方をだけを読んでいくとシンジの心の変化と成長が分かります。それは

「自分が嫌い、自分を傷つける他人が怖い」→「しかし自分の事を他人にちゃんと認めてほしい」→「そのためにはこれから先また傷つくかもしれないけど、他人と一緒に生きてこう」という結論を(アスカや綾波との心の会話?から)出しそしてシンジは「さよなら、母さん」と言ってエヴァ初号機((母)(綾波))に別れを告げ、言葉だけではありましたがそれなりに自分と他者の関係に希望を見出していました。(ちなみにこの時のBGMは『主よ、人の望みの喜びよ』というバッハの名曲

とはいえ最後なぜアスカの首を絞めようとしたのか、あの行動の動機は未だによくわかりませんが。なお最後の赤い海のシーンのサブタイトルは「I need  you」

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最後に出てくるこの二つのセリフの中で、シンジはシンに至る答えをすでに得ていたと考えています。

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ヱヴァのシンジは自分だけでなくて他者への責任感が強くなっていった

過去作特にテレビ版のシンジは「他人に褒めてもらいたい」「居場所が確保できる」というあくまで自分の承認欲求の為にエヴァに乗って戦うという事を何度も言っていましたが、新作では特にラミエル戦の直前から「他者を救う」「他者の事をちゃんと知りたい」という目的をかなり強く意識するようになっていったと感じます。しかしその責任感がQでは完全に打ち砕かれてしまうわけですが、それ(ニアサードインパクト)も他者からある程度免責してもらい、最後は自分を取り戻して今回のあのラストへとたどり着くことになったわけですが、やはり旧作の結末は決してシンジが絶望に落ちていくさまを描いていたわけではなく、あのどん底の中で何とかつかみ取った前向きな気持ちを、新作(2周め)を経てやっと行動に移すことができるようになったのが今回のシンジだったのではないかと思っております

 

 

PSおまけ

僭越ではありますが以前描いたエヴァ4コマをついでに貼らさせていただきます(^^)

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