「天気の子」の論評に悩みマッスル。
「天気の子」やや遅ればせながら観てきました。なんだかんだ言って新海カントクの作品は「ほしのこえ」以来全部観てきてはいるのですがそれに関してはまず置いといて、実は先月の日経新聞の記事にカントクへのインタビューがあってそれを事前に読んでおりましたので・・・
前作の「君の名は」の観客の「災害をなかったことにする」「死者をよみがえらせる映画」というのにショックを受けたと言っておられまして…僭越ながらワタクシめも某映画レビューサイトに「死をなかったことにしたい映画」って感想を書いたところ何人かから「いいね」を貰ったことがあったんですが、その感想は監督にとって予想外だった、だからこそ今回の作品はあの結末にしたのか…という事なのでしょうか?
ジャンルとしては個人の思惑が世界のありようにダイレクトに影響する「涼宮ハルヒ」に類するセカイ系の一つだとは思うんですが、そのセカイのありように作用するほどの力を与えられても、結局現状は何も変える事はままならないという、東京を徹底的にリアルに描いた風景&社会と共に表現したかったのか…これにより「君の名を」を裏返した結末を観客に見せつけたべきなのか(+_+)
新海カントクの作品は「秒速5センチメートル」以降、社会の問題より個人の恋愛のほうに一気に行ってしまった感じがしておったんですが、実はその前に公開された「雲の向こう、約束の場所」は朝鮮半島よろしく別々の国家に分離された日本の話だったんですけど、この作品に漂っていた全体を覆う絶望感(個人的には今も昔もこの作品が一番好き)のほうに社会的な目線と共にシフトを戻してみたのかなあとも。
*それから、個人一人の犠牲と大きな集団(東京なり地方なり)を天秤にかけるというのは、今年やっていたアニメのリメイク版「どろろ」と重なって見えたのは私だけでしょーか…あとプリキュアのコスプレイヤーの後ろに「このすばらしい世界に祝福を」のヒロインキャラの一人のアクアのコスプレの人がいましたけど、アクアは水の女神とゆー設定なんで確信犯で入れたんだろうなアレ(^○^)